さぁ、転職だ。お昼時間の僅かな時間さえあれば手当たり次第会計事務所に電話を入れた。
転職する1ヶ月前には皆と食事に行くこともしなくなったが、転職する旨を皆に伝えての行動だったので皆黙認してくれていた。

電話を懸けてちょっとでも会ってくれそうな感触があれば例え遠くても会いに行こうとアポを入れた。
最初の転職活動の時とは違い1年とはいえ事務所経験があるということで会ってくれるところが増えたのは有り難いことだった。

不安だったのはその1年に見合う経験が積めているという確信が全く持てないことだった。
しかし、皆に転職することを伝えてから皮肉にも皆が少しずつ仕事を教えてくれるようになった。最後のハナムケだったのだろう。

1番最初に回ったのは公認会計士の先生が開いている個人の会計事務所。
若いながらも穏やかで紳士的な先生。しかし、先生の需要とマッチせずここは不採用。
けれど帰りしな頑張りなさいと応援して貰い、1年ぶりに温かい人情に触れ少し感涙。

2番目に訪ねた事務所は、中央大学出の先生で自分がいかに有能な人材であるかを唾を飛ばしながら語るナルチャン先生。君も僕のようになりなさいと熱く語ること1時間。早々に失礼した次第。

3番目はこれが一番遠くて通勤2時間。都内で夫婦で会計事務所を開いているらしい。
奥さんは神経質そうに何度も眼鏡を弄っている。事務員は20人いるという。
やはり、通勤時間がネックとなりお断りをされてしまうこととなる。

最後に訪れた会計事務所は今の事務所より更に自宅に近く、事務員の平均年齢は27歳で10人位はいた。建物は自社ビルだった。開業20年と言う。しかも、この地区ではかなり大きな事務所らしいことを誇らしげに語っている。
ここは某大○簿記専門学校の掲示板から探し当てた物件だった。

面接時のモツの異臭立ち込める事務所にやや不快感を感じつつも面接してくれた30代の女性の対応が好感触。

一緒に同席した50代位の女性はしゃくりあげるように話し、やたらとハイテンションで神経質そうな風貌が鼻に突くものの10人も事務員がいるし、2階建てのビルだからそう接点もないだろうと目を瞑る。

「あなたには是非この事務所に入って欲しいの。そうして頂戴。私とエミさんとで出来る限りのことはするわ」とその針金のような声で50代は捲し立てた。

先生はたまたま出掛けていたために不在での決断となるのだが、これだけ人が集まるのだからいい事務所に違いないと思い、
「では、再来週からでもお願いして宜しいでしょうか」と即答してしまった。

今度のところでは、いろいろなことを教えてもらえるらしい。半年前に入った男の子も順調に仕事を覚えて今ではかなり仕事に慣れてきているとの事。理想的。そう思うとここに入るのが自分にはベストだと思えた。

今後の簡単な段取りを取り付けると急いで家に帰り、辞表を書いた。内容はシンプルそのもの

「一身上の都合により御社を退職致します。  
平成○年4月  日  海山 千子」

後は日付をいつにするかそれだけが問題だった。
そのXデーを思うと胸が躍った。書き上がった辞表を何度も読み直しては頭の中で渡す場面を何度もシュミレーションした。

そう、後は渡すだけでいいのだ。机の中は既に空っぽになって整理済みになっているのだ。
会計事務所に入って以来始めて嬉しくて眠れない夜を送った。

果たして、そのXデーは以外にも翌日に訪れた。

お客さん用に出した灰皿が発端となる。今となってはどうしてそれが原因となったのか思い出せないが、A先生が凄い形相で灰皿を持って私に掴み掛かって来た事だけははっきりと思い出せる。

私は、その手を思いっ切り振り払い、その瞬間、灰皿が宙に舞った。
吸殻が先生の頭に降り注いでいた。
先生は憤怒で顔を赤らめたり、真っ青になりながら私に罵声を浴びせた。

踵を返して私はやおら机の引出しを開け辞表を取り出し、素早く今日の日付を記入し、封をした。
『辞表』と書かれた面を先生に向け、
「どうも、短い間でしたが大変お世話になりました」と言うと机の上のバックを肩に掛けた。

私物は2週間前からとうに撤去していた。会社の引出しには辞表のみをしまっていた。
先生も事務員も呆気に取られている。
再度、お辞儀をすると2度と振り返ることなく事務所を後にした。

事務所を出て5mも歩いただろうか。後ろから微かに「海山さん」と呼ばれた気がして振り向いてみる。
長島さんだった。

「良かった。追いついて。あまりにも急だったんで驚いちゃった。あのぉ実は、皆、持ち合わせがなくてこれだけしか集まらなかったんだけど、これお餞別。元気でね。退職までのお給料はばっちり出すように計算しとくからね。」

裸で差し出されたお札に皆の動揺が見て取れた。
「有難うございました」それだけ言うと一礼して、今度こそ2度と振り返るようなことはしなかった。
涙は出なかった。不思議と開放感と爽快感が歩く毎に増してきた。

さっきまでのシーンが何度も眼前に蘇り、あの事務所をとうとう去ることが出来たのだと思うと自然とスキップをしていた。

さぁ、再来週からはあの新しい会計事務所でのお仕事が始まる。
まだまだ20代。あの事務所だけが全てではないんだ。

Tomorrow is another day.

この言葉を心の中で復唱した。
これ以上酷い職場はもうこの世には存在しない。そんな職場で1年も耐えたんだ。
次はきっと上手くやっていけるさ。真実、私はそう思っていた。


しかし、世の中には想像を絶する会社があることをこの2週間後に思い知ることとなる。
そのお話しはまた後日。

第9話 たらい回し

2002年6月18日
もともと私には指導してくれる人がいなかった。
敢えて言えばダニー先生だったが彼は私が入所(刑務所に入った受刑者のような表現だわ・・・)した時、もうそんな余裕は無かったのだ。
伝票整理に明け暮れる日々が続いた。
「何か手伝わせて下さい」そういうと来るのはバラバラになった伝票の山だった。

この事務所での限界を感じ始めていた。周りの女性も極力、私に教えるようなことは避けていた。
下手に教えてミスでもしたら今度は自分が辞めさせられると皆が危惧していたのである。

それでも、年末調整と確定申告時期だけはそんなことも言っておられず、私も猫の手として駆り出されるようになった。

手渡されたノウハウ本と格闘しつつ皆のはじき出した計算が合っているのかをチェックするまでになった。
間違いを見つけては感謝されることもあり初めてここに来た遣り甲斐を感じ始めていた。
それでも、月次の会計処理と申告書の作成については未だに触れさせて貰えなかった。

そんなある日、私はA先生に部屋に呼ばれた。久し振りに悪臭を身近に吸ってしまい、不快感を増幅させていた。

「あんたもな、ソロソロ一人前になって独り立ちして決算を組んだりしてもらわにゃいかん。いつまでも新入社員のままじゃ困る。10社ほどあんたに任せるからやってみなさい。会社1社の決算につき毎月2万円を支給するから」と言われた。

嬉しい反面、不安が押し寄せてくる。任せるとは言われても私が出来るのは給与計算と伝票整理。そして、最近覚えた年末調整位。どうしようと途方にくれていると、
「定岡さん。ちょっと」と先生。
「これから、海山さんが独り立ち出来るようにあんたがいろいろ指導してやんなさい」と言った。
彼女は大きく仰け反るジェスチャーをすると、
「嫌ですよ。自分のことだけでも精一杯なのに教育指導なんてそんな時間ありませんよ〜」と言った。
「そうか。あんたは嫌か・・・」

そうして、原さん。長島さんも呼ばれたが二人にもやはり拒絶されてしまった。
それはそうだろう。
私が同じ立場だったらそういうリアクションをするだろう。

「教育手当てとして月2万円払うから海山さんをサポートしないか」と先生は言ったが誰も首を縦に振る者はいなかった。
結局のところ皆たった月2万円で私のチェックもしぃの自分の顧客の申告もしぃので負担だけが増える。
しかも、ミスをした場合、いつ自分がその責任を取らされて辞めさせられるか分かったものではない。・・・ダニー先生のように。

「あんたには悪いけど面倒は見れないよ」と事務員ご一同様に面と向かって言われてしまった。
「それより、他の会計事務所に行って勉強したほうがあんたのためになるよ」とまで言われてしまう始末。

皆の気持ちが分かるだけに面倒を見て下さいとは言えない自分がいた。
そんな経緯を知らないA先生は、
?海山は皆に嫌われているらしい
?海山は仕事が全く出来ないらしい
?誰も面倒を見ないのなら海山は金が掛かるだけ
そんな図式が先生の中で出来上がっていった。

ダニー先生が辞めることによって私は突然単なるお荷物に変身してしまったのだ。
ダニー先生に向けられていたネチネチの矛先は私に向けられるようになった。

「あんたは、じゃ、決算とかやんないから来月から給料は2万円カットだな」とその場で宣告された。
それでも、私は辞めなかった。皆のお昼の買出しとか書類の清書とか尽くしたらきっと教えてくれるはずだ。そう信じて粘った。

「しかし、あんたも粘るね。でも、先生がああやって虐め始めるとだんだんエスカレートしてきて、半年と続けた人はいないよ。あんたみたいな未経験者にはこの事務所はまだ無理だよ」と皆が口々に言う。

それでも、私は自分の履歴書に1年以内に退社という汚名だけは残したくなく、せめて1年。そう思い粘った。
そうこうしているうちに仕事も盗み見れるかもしれないというほのかな願いもあった。

しかし、皆のガードは固かった。自分達の会計書類は一切見せないのである。いや、見せることが出来ないと言った方が正解である。

一時期は先生の虐めが緩んだ時期もあった。
その時には「こんな風に先生の虐めが止んだ例は見たことがない」と皆に絶賛された。

だが、それはほんの一時期でしかなかった。
そして、先生の怒涛のような虐めラッシュが始まった。
「もう少しあんたは愛想良く出来のか。仕事が出来ない癖に」
「お茶位もっと美味しく煎れなさい。仕事が出来ない癖に」(因みにお茶は、「お〜い、お茶」の缶を開けて入れていた)

万事がこの調子であった。

「あんたは来月からパートにするから月12万円だ。それでもいいなら事務所に来ても構わんよ」と最後通牒を突き付けられた。もう限界だと思った。

1年に拘る事はない。確かに、このままこの事務所に居ても教わることは何もない。
虫けらのように扱われている私でもプライドはある。このままこの事務所に居ても人間が腐るだけだ。

そう思うと気持ちがすーっと澄んで来た。
こんなにひどい職場はもうきっとないから。ここでこれだけ我慢出来たんだから。

次第に私の中で退職の2文字は確固たるものとなったのであった。
一見、穏やかな日々が訪れた。A先生のダニー先生をネチネチ虐める声がしないだけでも空気がとても軽く感じられた。
でも、私の心の中では事務所に対する嫌悪感と喪失感が芽生えていた。

A先生のもとから逃げる客はその殆どがA先生のチクリにより、税務署からの調査が入っていた。
そのせいで倒産した会社も少なくなかった。

「せいせいするわい」と悪代官の台詞が事務所にこだまする。
A先生は税務署時代から子飼いの部下がいるので彼らに情報をリークするのであった。

風の便りでダニー先生のことも耳に入ってきた。

あれからダニー先生はA先生に顧客を13社分けて貰って独立。自宅で税理士事務所を開業していた。
他の税理士仲間は口々に「いやぁ。A先生はお優しい方ですなぁ」と誉めそやしていた。私もその意外な行為を少し見直し始めていた。

「バカね。顧客の内容を見てご覧なさいよ」と長島さん。
私はオズオズと今回ダニー先生について行った顧客リストを見た。
次の瞬間、息が止まりそうになった。

顧問報酬月3万円以下。赤字決算会社でしかもここ半年か何年もの間、顧問報酬が未納。
何度も督促を出した先ばかりだったのだ。
払いの悪い会社をダニー先生のもとへお払い箱にしたわけである。

ダニー先生からの辞表が郵送で届くとほぼ同時に顧客からの電話がひっきりなしに掛かってきた。

内容は次のとおり。
突然、自分の顧問先がダニー先生と言う先生に代わったとの葉書をダニー氏から頂いたがこれはどういうことなのかと言う苦情とも言える問い合わせが殺到した。

つまり、顧客への説明は一切行わないまま、そして何の了承も得ないままA先生はダニー先生に顧客を渡したのであった。
当然、顧客は突然の出来事に慌てふためいている。

ダニー先生も顧客を訪問するなどの説明をしないまま、ただ、「これからは御社の顧問は私になったので、下記口座に顧問報酬を振り込んで下さい」と乱暴にボールペンで書きなぐった葉書を出したらしいのだ。

事務員の女性達もこれには一様に呆れた口調でこう言った。
「実は、私のところにも葉書が来たんだけど・・・。見てこの字。凄い怒りに任せて書いたって感じ。
しかも、内容は怨み辛みでビッシリ・・・」

ナルホド、ボールペンのダマも生々しく渾身の力を込めた葉書がそこにあった。
この葉書を今までお世話になった顧客全てに送ったらしく、「なぁに。あの内容。あの字」と甚だ不評だったらしい。

「気持ちは分かるけど・・・。男を下げちゃったわよねぇ」としみじみと定岡さん。
先生には、まだ小学校に上がるお嬢さんがいた筈だ。先生の顔にそっくりのダニージュニアが・・・。

暗澹たるダニー先生の船出が順風満帆であることを心底祈らずには要られなかった。・・・合掌。
ダニー先生は清廉の人では決してなかった。
A先生と比べると幾らかましという程度である。
「これを皆さんでお分け下さい」とお客から貰ったお菓子や現金の全てをダニー先生は皆に分けることなく一人で着服していた。
「A先生もクズだけど、ダニーもダニよね・・・」それが事務員共通の認識だった。

ダニ、もとい、ダニー先生の口癖は「俺が、キャリアだった頃・・・」であった。
遠い目をして当時の思い出を掘り返し話しては溜息をついていた。

この事務所に来てから数ヶ月、私の会計事務所に対する見方は当初と比べかなり悪化していた。
後悔すらしていたと言ってもいい。職安を通したのにどうしてこんな所に入ってしまったのかと毎夜悔いた。

こんな話を聞いたことがある。私が入所する前、税理士の全科目の資格を取った女性がいたらしい。
分からないことは皆その女性に相談してきたというのだ。
その女性はしばらくすると自分でやりたいと思ったらしく、ある日そのことを先生に告げた。
しかし、先生はその日から態度をがらりと変え、長年事務所で働いてきた彼女に1社の客も分けてあげなかったらしいのだ。
客の取り合いで喧嘩もしたらしい。
それ以来、先生は全科目取得者を雇わないことを座右の銘にしているらしい。

しかし、これはこの事務所に限らずどこの事務所でもあることだと定岡さんは言った。
「もし、会計事務所に入りたかったら全科目取っちゃ駄目だよ」と忠告された。
全科目取得者は実務経験さえ積めばいつでも事務所を開くことが出来る。だから、顧客を取られるのが嫌な先生は決して雇わないそうだ。
「あんたももし、税理士を取ることを考えてるんなら2、3科目にしときな」と皆から忠告された。

そんな夏のある日再び事件が起きた。
今回の犠牲者は原さんである。
いや、ダニー先生か。

ここで少し原さんの補足説明をしよう。原さんは、齢50近くのベテラン事務員であることは依然述べたが、その上すこぶるつきの美人である。
スタイルもいい。お上品である。とても50とは思えない色気もある。

そう。以上の説明から推察できると思うが、彼女はA先生のお気に入りなのである。
その彼女が今、顔面を蒼白にして、
「どうしよう。どうしよう」とこめかみを抑えながら机の上に視線を落としている。

問題の電話が鳴ったのが5分前。お得意先の担当者からだった。
彼女がかつて申告した申告書の内容が間違えていたらしい。
税務署からの連絡が担当者に行きその連絡が今入ったのだ。
間違いにより生じる税額は重加算税、付加算金も併せて約200万以上。
これから、担当者と社長が事務所に来るというのだ。気の毒な彼女は顔面蒼白でブルブル震えていた。

「原さんも気の毒にね。あそこからはこの前の決算の時、10万円貰ったって言ってたからね」と、お昼に定岡さん。
「えっ。あそこは決算手当は50万円だったと思いますけど」と私が言うと。
「あのね。私達が、事務所ののお手当てだけで、満足しているわけ無いじゃない。先生が全く無知なことを気付いている会社は気付いているの。でも、私達のケアが木目細かいから他に行くつもりは無いのよ。皆、決算期には別に5〜10万円、多い人で20万円は貰っているのよ。ほら、先生は税務署の出だから、なるべく客に多くの税金を払わせていい顔したいのよ。『俺の客はこんなに税金を払ってる』って言ってね。それじゃ、会社はたまんないじゃない。そこで、私達が便宜を図ってあげてるってわけ。お手当てを貰うのもいいんだけど、ひとたびこんなことがあると皆震え上がっちゃうのよね」と定岡さんは言い、何事もなかったかのように食事を続けた。

この手の話は結構喋る定岡さん。
「私ね、今、お客の店で夜アルバイトしてるのよ。でも、先生にばれたり、源泉の問題とかヤバイじゃない。だから、店主の給料を10万円増しに処理して、私はそこから現金で貰ってるの。そうしたら、私の名前とか出ないじゃない」とも語っていた。

食事が終わって事務所に帰ってみると原さんは更に顔面蒼白になって「どうしよう。どうしよう」と、机に突っ伏して呪詛のように呟いていた。
顧客は帰ったようだ。何らかの結論が出たのであろう。

奥の先生の部屋では、両先生が言い争いをしている。
「どうなったの」と定岡さんが尋ねると、原さんの目は涙で濡れていた。
「それがね」と説明を受けた話の内容は以下のようなものであった。

A先生曰く、原さんは事務処理レベルだから責任は彼女にはないと庇ったらしい。
A先生のお気に入りというプレミアムを差し引いても、そこまではちょっと感動して聞いた私。問題はそこから先。

公には出来ないけど、A先生は会計の知識がないからチェックなんてとても無理。
ということでA先生の中ではご自身は鼻から問題外。そこで、ババを引くのがダニー先生。

「ワシは君を信じて、君に皆の申告書のチェックを全て一任しておる。それがこんな形で裏切られるとは。君は一体何をチェックしているのかね」と客前で叱責したらしい。そして、最後には、「この200万円は君が自腹を切って払いなさい」とまで言い放ったらしいのである。そんなムチャクチャナ・・・。

「私が悪いのにどうしよう」と原さんはかなり気にしていた。
A先生はこれ幸いにとこの責任を全部ダニー先生におっ被せて辞めさせようという魂胆だった。
以前、ある気に入らない担当者が似たようなミスをした時は、その担当者に非があると言って辞めさせたらしいが・・・。

怒りで顔を真っ赤にし、体を打ち震わせながらダニー先生はA先生の部屋から飛び出してきた。そして、ムンズと背広を小脇に抱えると急ぎ足で、荒々しく扉を開け、これまた荒々しく後ろ手に閉めて事務所を出て行った。
それが、私が見たダニー先生の最後の姿だった。

数秒後には、ヒッヒッヒッという引き攣ったようなA先生の薄笑いだけが事務所中にこだましていた。

ちょっと横道

2002年6月7日
わけありで今、私のPCが置いてある部屋にいけません。よって本日は日記を更新できません。
秘密のメモを書きましたのでちょっとお茶していって下さい。

第6話 閑話休題

2002年6月6日
ここでは幾つかのエピソードと共に各事務員のご紹介を。

・隣の愛人(定岡さんの場合)

雑居ビルにある事務所の隣に怪しげな会社がある。社員は3人。そこのボスらしき女性は40代半ばといったところ。たまにお昼頃にノコノコ会社にやってくる。その出社日には必ず事務所にやってきて定岡さんに纏わりつく。
定岡さんは「あの女、大嫌い」と公言して憚らない。
彼女は所謂、某会社の社長の愛人。隣の会社は社長が経理事務所の名目で借り上げた部屋である。しかし、この女性。経理はさっぱり出来ないし、やらない。マニキュアを塗るなどして過ごして3時頃には会社を閉めて帰る。愛人手当てとして支払うよりも公然と経理部長として払った方が何かと社長には好都合。
かくしてエセ部長は実質愛人手当てを月50万円貰い、週に数回会社に数時間ほど通うのであった。名目上とは言えそこは経理事務所。給料計算から事務処理まで全てを定岡さんが代行していた。
そして、かの愛人は「ねぇ。ちゃんとやってるぅ?」と視察に来る訳である。これで月50万円。
何度か社長と彼女がいそいそ腕を組んで帰るところを目撃したこともある。

定岡さんはこの事務所に来る以前、他の会計事務所に勤めていたことがあったそうな。
その時、幅をきかせていたのがその事務所の先生の愛人だったというのだ。愛人の傍若無人な振る舞いに切れた事務員が一致団結して一斉に辞表を書き、先生に叩き突けようということになったらしい。

しかし、それを決行したのは結局2人。その内の1人が定岡さんだった。残りの事務員は不穏な動きを察知した愛人が「先生に頼んであなたのお給料上げて貰うから」と篭絡したらしい。

裏切られた2人がその後人間不信に陥ったのは想像にかたくない。
定岡さんが「愛人」に嫌悪を示すのも無理からぬことだと同情する。合掌。


・怪我をした作業員(もう一度、定岡さんの場合)

珍しく定岡さんが溜息をついている。原因は現場監督と作業員のトラブル。
実は、某零細建設会社の作業員が作業中に転落して大怪我をしたらしいのだ。
しかし、監督は彼の労災の申請をもみ消したらしい。どう考えても労災なのだが、監督は自分の現場から怪我人が出たことを世間や本社に知られたくないらしいのだ。

今後の雇用にも響くし、どういう管理をしていたのか本社からその責任を問われるのが嫌だというのである。
端的に言えば調査されると困る位、杜撰な現場なのである。

労災の申請をと泣き付く作業員に、監督はそこまで言うのなら辞めさせる事だって出来るんだぞと半ば脅迫に近い物言いで捻じ伏せたらしい。
結局、気の毒な彼は労災を申請することなく自腹で病院に行ったらしいのだ。

定岡さんが作成した労災の申請書は彼女の溜息と共に虚しく床に舞い落ちたのだった。

・A先生の湯飲みの洗浄は(長島さんの場合)

私達はローテーションで顧客にお茶だしをしたり、皆の湯呑みを洗ったりする。そこで、暗黙の内に出来ているルールがある。
A先生の湯呑みと事務員の湯呑みは別々に洗うと言うことである。
長島さんの実演による模範的なA先生の湯呑みの洗浄は方法は下記の如くである。

?事務員の湯呑みを念入りに洗い、布巾で丁寧に拭き棚にしまう。
?A先生の湯呑みの口の部分から出来るだけ遠くを親指と人差し指で摘まむ。
??の飲み残しをぺっぺっと振り脇に置く。
?オモムロにスポンジで灰皿を洗う。
??のスポンジでお取置きしていた?を洗う。
??を自然乾燥する。

一度、海山が誤ってA先生の湯呑みと皆の湯呑みを一緒のスポンジで洗ったら大ヒンシュクを買ったというイキサツがある。皆は、惜しげもなく自分達の湯呑みを捨て、即日、新たな湯呑みを購入したのであった。何だか潔いのである。

・解約した保険金(江川さんの場合)

この登場人物の中で最もマイペースでクールな江川さん。とても無口な人である。彼女の辞書に失言というものは恐らくない。
そんな彼女が気に掛けているお客さんはつい最近倒産した○○株式会社の東社長だった。

とても人のいいオジサンなのだが、経営が傾き、ついには多額の借金を抱えたまま資金繰りに東奔西走の毎日を送っていた。終いには従業員に払う給料もままならず社員は次々と会社を去っていった。

その上、更に社長自身にも不幸が降りかかる。
長年の無理が祟ったのか脳梗塞で倒れてしまったのである。それに輪を掛けて不幸なことに社長自身に掛けていた保険金はほんの1ヶ月前に解約したばかりだったのだ。社長は、現在も下半身付随で言葉を発することすらままならない。

「本当についていないヒトっているよねぇ」普段は滅多に喋らない江川さんが珍しく唯一その心情を語った事件でもあったのである。

・キャバレーのママ&明美ちゃん(原さんの場合)

原さんの頭痛の種はとあるキャバレーのママ。
羽振りのいいお店を酒場の一等地に構えているのだが、何故か彼女のところから上がってくる伝票をコンピュータ処理して見ると毎月トンでもなく赤字なのである。

「もう。絶対おかしいってば。だって、個人の確定申告だって赤字なのよ。税務署にどうやって生活しているのかしらって思われちゃうわよ」と原さんは嘆く。

「ママはね。伝票とか丸めて捨てちゃうし、お店のレジからお金を抜いていくのよ。そんなのしょっちゅうみたいなのね。これでまともな決算を組めというのが土台無理な話しなのよね」と肘杖をついて深刻な顔をしている。

そこに新たな頭痛の種が舞い込んできた。
多分、お客さんに入れ知恵をされたのだろう。かつてそのクラブの従業員(?)だったホステスの明美ちゃんが「確定申告をしたいからゲンセンチョーシューヒョーを出してよ」と言ってきたのである。

普通の会社の従業員がこう言って来たらベテランの原さんのこと、数分もあればチョチョイノチョイで作成するのであるが・・・。
問題はその従業員明美ちゃんがホステスなのが問題なのである。
何もホステスが悪いというわけではない。

つまり、問題点はこうだ。
今まで源氏名を「明美ちゃん」で通していた女性Aがある日、キャバレーを辞めてしまったとする。その時点で「明美ちゃん」を語る女性Aは消えるのだが、その後入ってきた女性Bがやはり「明美ちゃん」を名乗ったりするということが起こるのである(クラブのママが、「もう明美ちゃんはいないからこの源氏名は利用可能よ。とでも言うらしい)。そうした場合、特にママから明美ちゃんがチェンジしたとの連絡はない。女性の本名が明かされることもない。確定申告をしたいから源泉徴収票を出してと言っている「明美ちゃん」は一体いつからいつまで働いていたのか分からないのである。

原さんが必死にきちんと把握できるように整理しましょうと言ってもママは何処吹く風。

結局、指名の伝票を元に探偵の様に類推し、
「ここから指名の数が極端に減っているから、この時にチェンジしたのかもしれないわね」と原さんは自分に言い聞かせるように指名伝票を食い入るように見ている。
・・・こうしてゲンセンチョーシューヒョーは作成(もしくは捏造か?)されていったのである。
それはある朝突然起きた。
血相を変えた客が事務所に飛び込んできた。当然の如く誰も顔を上げない。いわんや、応対をやである。

「す、すみません。A先生はおられますか」
奥にいた先生は「おお。その声は遠山さん。入りなさい」と答えた。
遠山さんは滑り込むように先生の部屋に入っていった。今日のお茶当番は私だった。
お茶の準備をしているとヒソヒソと遠山氏の話す声が聞こえる。どうやら、税務署が会社に入るらしかった。

そして、やおらドンと机を叩く音と共にA先生の荒々しい声がした。
「あんたは人に相談に来るのに手ぶらなのか」
一瞬、私は耳を疑った。
「で、でも、先生。毎月、顧問報酬を払っているじゃないですか」と狼狽した遠山さんの声が聞こえた。
「それはそれだ。あんたも子供じゃないんだからその辺の常識位、弁えないと。とにかくただじゃ相談に乗る訳にもいかんよ」と怒気もアラワに顔を真っ赤にして叫んでいた。

遠山氏は慌てて事務所を飛び出し、数時間後、茶封筒を持って再度現れた。先生の部屋からかさかさと封を開ける音がした。数秒の沈黙が流れた後、
「きっと、ビール券よ」と原さんが言った(後日、事務所員皆で確認。その通りだった)。

「ふん」と先生は言った後、その相談の内容でこれっぽっちかと言うニュアンスを含んだ嫌味を言っている。
居たたまれない遠山氏は再度事務所を後にし、数時間後、今度は分厚い茶封筒を持って現れた。
「今度は現金よ」と再度原さんが言った(後日、・・・。以下同文)。

「あー。原さん。ちょっとこっちへ。遠山さんや、その件については原さんと打ち合わせなさい。私はそれからだ」と言う。
「そりゃ。そうよね。相談なんか持ち掛けられても先生はなぁーーんにも知らないんだからね」と定岡さんはひそひそ。
「でも、原さんも災難ですよね。遠山さんが来た時、たまたま原さんしかこの事務所にいなくて1番最初に対応しちゃったもんだから、自動的に担当者になっちゃったんですよね」と珍しく江川さんが口を開いた。

ここに来て初めて私はどうして皆が来客があっても知らん振りしていたのかを知った。
現在、それぞれが抱えている客だけでも残業の日々で、しかもその手当ては出ない。それなのに、これ以上、担当先が増えてたまるかというのが彼女達の本音だった。

その上、肝心のA先生は会計に関してズブの素人だから彼女達の責任は他の会計事務所より遥かに重く、範囲も広いのである。

彼女達が賃金カットの憂き目を見てもそれでも他の会計事務所員よりもかなりの給料を貰っていることは確かではあるのだが・・・。

不満だらけのこの事務所に彼女達が残っているのはこの40〜50代の年齢では今の給料は貰えないと認識していたからでもある。また、先生が会計の知識を全く持っていないことも彼女達にとっては好都合なことであるらしかった。

他方、A先生は高いながらも経験豊富な会計事務員を雇うことによって、無知でも税理士事務所を開業できたのである。男の事務員を雇うよりも女性は安くても正確に仕事をするから、女性でしかも経験豊富な人材しか雇わないのである。

ここに持ちつ持たれつの関係が成立しているわけであった。

結局、A先生は終始登場することなく、遠山氏は税務署の対応から調査の立ち会いまで全てを原さんとB先生の三人ですることとなった。

それから数日後、先生は原さんと一緒に遠山さんの会社の税務調査が終わった打ち上げに呼ばれていそいそと出掛けて行った。

帰ってくると「ほい。これ」と領収証を長島さんの机の上にぽんと置いた。
私はそれを見るなり、
「へぇ。あの先生でも食事を奢る事があるんですね」と感心していると、
長島さんがけたけた笑いながら
「あなたもホント、おめでたい人よね。そんな訳無いじゃない。お支払いは遠山さんにさせておいて領収証は先生が貰ったに決まっているでしょ。あなた今まで伝票整理してきたでしょ。その中に領収証のコピーとか見たこと無い?あれってね、先生が客に接待された時、領収証を貰ってくるじゃない。そして、客にはコピーを渡してるのよ。分かった?」
「・・・・・・」
私は、もう言葉が出なかった。

ダニー先生の口癖は「俺が国税局に勤めていた頃は・・・」である。
そう。彼はこの会計事務所にヘッドハンティング(?)される前までは国家公務員でキャリアだったらしいのだ。
それが何でこのばっちい上に狭い事務所に来たかと言うと事情は次に述べるとおりであるのだが、その前にA先生について触れなくてはならない。

A先生は所謂税務署出身の試験免除でなることができた税理士である。
税務署に長年勤めて来たのだから、税務関係はお手の物と思ったら大間違いなのである。
A先生はB/Sも読めなければ、P/Lも読めない。ましてや申告書の作成など全く知らないのである。
事実、A先生自身の個人の確定申告も事務員の長島さんが行っている位である(という訳で、先生のお財布事情は全事務員の共通の情報として密かに共有していた)。

しかし、客は当然それを知らない。客は先生に相談に来るのだが、茶飲み話も終わって話が本題に入ってくると担当事務員が呼び出され、
「それは、私のような人間が答えるような内容のレベルではないから○○さんに聞きなさい」と言う訳である。

客は夢にもA先生が会計・税務知識が皆無だとは思っていないので、
「いやいや。確かに。先生、失礼致しました」となる訳である。

そんなことが続いたある日、A先生はたまたま病気になって入院したのをキッカケに、入院中、自分の代わりにナンデモやってくれる人材が欲しくなったらしい。
そこで白羽の矢が立ったのがダニー先生だった。ほんの数回面識があるだけだったらしいが、A先生は

?    自分の亡き後は事務所ごと客を譲る
?    月給は現職の数割増
?    ?以外にも手厚い手当てをつける
?    その他、以下省略

を条件にダニー先生を誘った。まぁ、その時、A先生は死出の心の準備をしていた訳である。

当時、ダニー先生は国税局で米搗きバッタのように深夜を問わず働くという激務だったらしい。
そこで、条件の良さも手伝って一念発起して転職に踏み切った訳である(オソロシ、オソロシ)。

最初の頃こそ二人は一緒に食事に行ったり、お互いに相談しあったりと親しくしていたらしい(BY長島さん談)。
しかし、ダニー先生の転落の人生はA先生が奇跡的に回復し、事務所に通勤できるようになった頃から始まった(事務員も同様に地獄に落ちたと後述している)。

先生は全快し戻ってくるなり皆を集めてこう言った。
「実はこの不景気で当事務所の経営も難しくなっている。そこで、来月から原さん、長島さん、定岡さんの給料を5万円ずつ削ることにしたから。江川さんは2万円カットと言いたいところだが最近、簿記の資格を取ったから資格手当ての2万円と相殺だな。B先生は20万円カットでその他の手当ても今後は一切出さないからね」

これら一連の事件は私が事務所に入るほんの前に起こったことである。

皆は激怒した。当然である。A先生の懐具合と事務所の儲かりぶりは皆知っているのである。
そして、A先生の息子がつい最近2000万円をA先生に出して貰って開業医(因みに息子様はお歯医者様です)になった事も。

「今思い出してもホントムカツクわ。だって、A先生は今年の高額所得納税者として名前も載ったし、それに客だって前年より相当増えてるのよ。残業残業で私達は死にそうなのにその上賃金カットだなんてさ」

更に可愛そうなのは、ダニー先生。?〜?の条件がほんの数ヶ月で反故になった訳である。
しかも、最近では露骨に、
「君、いつまでも寄生虫みたいに人に仕えていないで自分で事務所でも構えてみてはどうかね。一国一城の主になる。それが男と言うものだよ。わっはっはぁ〜。」と?も反故にするつもりでいるのである。

そう。ダニー先生は一転邪魔者になったのである。A先生はダニー先生が外回りに行くのを確認するといそいそとパテーションを超えて事務員にこう話し掛けてくるのだった。
「しっかし、いつまでいるつもりなんだろうねぇ。あの男は。恥ずかしくないんだろうかねぇ」と。

A先生はダニー先生が外回りから帰ってくると完全に無視するか、部屋に呼び出しねちねちと重箱の隅を突付いたような明らかに嫌がらせと分かるようなことを言う(申告書の税理士の欄のハンコが少し曲がってる(笑)等。)。

「あんたもソロソロ苦労しないと・・・」と言うのがA先生のダニー先生に対する口癖となっていた。
皆は顔を見合わせまた始まったと言う顔になる。

実は私は入所した当初、ダニー先生が全面的に面倒を見るということになっていた。
私の前は江川さんを木目細かくサポートし、一人前に育てていたらしい。
「だけどあなたも本当に運が無いわよね。ダニー先生ったら、江川さんの頃と違ってもう精神的にゆとりがないからあなたのことほったらかしだもんね。あなたもいつまでも伝票整理だけじゃ嫌でしょう」と長島さんがニヤニヤ笑いながら話し掛けてきた。

彼女はつい最近私に、
「海山さん、悪いんだけどそこの月払いの納付書取ってくれる?」と言った。
「???えっ、ノーフショって何ですか」と私が尋ねると思いっきり噴出し、
「そんな常識も知らないのぉ?私もよくモノを知らないとか自分で思う時があるけど安心しちゃった。私よりひどい人がいたのねぇ」とこれまた容赦ない。
「あんたね。ちょっと言い方がきついんじゃない。・・・でもまぁ、海山さんも早く仕事を覚えて貰わないとこの事務所に居れなくなるよ。以前、やっぱりあんたみたいに未経験の子がここに入ったけどA先生が虐めて追い出しちゃったもの。そういう意味じゃ、確かに江川さんはラッキーだったけどあんたはそうはいかないんだから頑張らないと」と定岡さんから忠告を受ける。
でも、右も左も分からない上に誰も何も教えてくれない。聞いても、である。

私は毎日伝票の整理ばかりをし、意図も分からずコンピュータの入力をしていたのである。
合っているのか、間違っているのか指導してくれる人は誰もいない。
私の質問や疑問は皆の沈黙という形で還ってくる。
ダニー先生もゆとりがないのか「先生、このお客さんのこの領収書なんですが・・・。どう処理したらいいんでしょう」と尋ねると「うーーん。いいよ。これは見なかったことにしとこうよ。」と言って領収書をくしゃくしゃにしてぽいっとごみ箱に捨ててしまったのであった。

だんだん分かって来た事であるが、A先生のダニー先生への嫌がらせは私が認識していた以上にかなり本格的になっていたのである。どんな細かいミスも漏らさず致命的な失敗にこじつけてダニー先生に突きつけるタイミングを計っていたらしいのである。

A先生はダニー先生ナキ後、私の教育係として誰に面倒を見させるかを裏で事務員4人に打診していたらしい。
その頃、そんなことも知らず私は無邪気にダニー先生の外回りからのご帰還を待っていたのである。
「まっ、いいか。先生が帰ってきたら聞こう。今日、長島さんがコーショーニンって言ってたけど何だろう。先生早く帰ってきて教えて欲しいな。もう、伝票の整理もとっくに終わったんだけどな・・・」

翌日、私と事務の女性4人はとあるホテルの地下の料亭にいた。
A先生が「海山さんの歓迎会をしてあげなさい」と言われたことによるものだった。
料亭での彼女たちは会計事務所でのそれとは別人だった。

「でもよくあなたここに入ったわねぇ」
食事が進むにつれて打ち解け始めたころ原さんが言った。
彼女は、幾つもの会計事務所を転々としてきた齢50歳近くのベテランさんだ。

「そうよねぇ。まぁ、勤めている私が言うのもなんだけど私が貴女位若かったら絶対こんなところ入らないわぁ」
歯に衣着せぬ物言いをするのは他の会計事務所での経験が2年という長島さん30代後半。

「まぁまぁ、縁あって入ったんだから・・・。でもね脅すわけじゃないけど、あんたこれから色々大変だよ。まっ。嫌でもおいおい分かってくると思うけど」
と、建築会社で経理経験のある40代前半の定岡さん。

「・・・・・・」
無口で多くを語らないのは同じ証券会社経験者の江川さん。彼女は幾つかのベンチャー企業を経て会計事務所に流れ着いたらしい。30代前半。

そして、彼女たちは口を揃えて私に妙なアドバイスをした。
「いい。もし誰かがうちの事務所を訪ねてきたとしても絶対顔を上げて対応とかしちゃ駄目だよ」と言った。
妙なアドバイスだなとはおもったもののその真意を尋ねようとした頃、彼女らは食事を終え帰り支度を始めていた。
そんな謎の会話の中でもふと初めて私が会計事務所を訪ねた時、そう言えば彼女たちは顔を上げなかったなとぼんやりと不快感を伴いながら思い出していた。

帰りの道々「・・・でも何よりも1番気の毒なのはB先生だよねーーー」と長島さんが言った。
「えっ。B先生ってどなたですか」私がそう尋ねると
「そっか。まだ会ってないんだよね。先生はここ2、3日外回りだから・・・。でも今日の午後にでも会えるわよ」と長島さん。

事務所に帰るとその気の毒なB先生は狭い部屋の窓際の小さい椅子に恰幅のいい体を沈めていた。
滝のように流れる汗をハンカチで拭いながら「おお。お帰り」と私たちに言い、「A先生は今ちょうどお昼に行かれたよ」と続けた。
B先生は例えるなら和製ダニー・デービットと言った感じで、肝臓の悪そうな顔の色をしている。
A先生の放つ悪臭が立ち込める部屋の中にB先生は消化の悪そうな口臭といったオードブルを添えている。
部屋の中は以前にまして異様な臭いが立ち込めていた。
「ああ、君が今度入った海山さんね。宜しく」そういうと、先程汗を拭った手のひらで握手をしてきた。
「午後からね。僕と原さんと海山さんで東京まで行くことになったから・・・」とダニー先生は言った。
「東京ですか?」と私が尋ねると、
「そう。東京。東京に上客がいるんだよ。A先生がグリーン車で行くように言われたよ。君は気に入られたらしいな」とニヤニヤ笑っていた。
「グリーン車なんて珍しいわよね。よっぽどあなたに見栄をはりたいのね」と原さんが耳打ちした。

かくして、私達三人はグリーン車に乗った。
「これから行くところはね不景気で借金だらけの会社なんだけど、従業員には頑張って欲しいとボーナスを出すらしいんだよね。うちの先生とは大違いだよ」ダニー先生は大まじめな顔をして目線を前方にくれていた。
「でも、他の会計事務所に比べてまだましな給料ですよ」そう言い掛けて私は言葉を飲んだ。そう、まだそう断言するには早いのだ。
「本当、いい社長さんよね。うちの先生とは人間の出来が違うわ」と原さんが畳み掛ける。

到着した会社はビルの2、3階を賃貸している洗練された会社だった。
私たちはまるで竜宮城に招かれた浦島太郎ご一行様のように恭しく社長や数十人の従業員に出迎えられた。
会議室で社長と事務担当者、そして私達の5人は軽い歓談を終えた後、今回の訪問の本題に入った。
原さんはテキパキと書類を出し、
「・・・で、この方は月額変更の届出が・・・。・・・で、変更登記の申請が・・・」
まるでチンプンカンプンの言葉が飛び交い、それを原さんは迅速かつ的確にこなしていく。
ダニー先生は腕を組んで見ているだけだ。
「・・・以上ですね」と原さんと社長さん、そして担当者は確認し合っていた。
そして、一連の業務が終わると、来た時と同様に会社の人全員が恭しく挨拶してくれ、私達は大層いい気持ちで会社を後にした。

帰りしな原さんが
「先生もひどいわよね。あんないい社長さんたちを食い物にしているんだから。悪党よね」とダニー先生に耳打ちしているのをちらっと聞いた。
後日、当時原さんのしていたことは社会保険の手続きと法務局への会社の届出の準備であったと分かる。
つまりは、社会保険労務士と司法書士の職域であった訳で無資格でやっているわけである。
A先生は何でもうちでやってあげますよと客に言い、正に何でもやってあげる訳なのである。コロシ以外は。
私は、この行為に関して「悪党」と会計事務所員は言っているのだと早合点していた。

しかし、実はもっとアクドイ行為を後日、本当に目の当たりにすることになる。
面接当日は晴天。これから新たなキャリアをスタートしようと希望に胸がワクワク。
地図を頼りにその場所まで行ってみるとそこはサビレタ雑居ビル。
正直な話、前職が賃貸とはいえそれなりに大きく立派なビルの会社だっただけにちょっとがっかり。
でも、何の経験も資格も無いのに会ってくれるというだけでも有り難いもんだと気を取り直してエレベーターに乗り、目的の階へ。エレベーターを降りるとすぐ目の前に「A会計事務所」のプレートの文字が・・・。
何の飾り気も無い無造作な灰色の戸。ベルは無い。
「さぁ、これから面接だ。頑張んなくちゃ。」
心を落ち着けてノックをしてみる。・・・中から返事がない。薄い戸板なので「どうぞ」という返事くらいは聞こえてきそうなものだけど・・・。もう一度ノックしてみる。やっぱり返事が無い。
意を決してノブを回してみる。するとそこはもう6畳ほどの部屋になっておりカウンターなどは無論無い。
部屋の真中に灰色の机があり女性4人が仕事をしていた。
何だ。人いるじゃんと思いつつ、
「あのすみません。本日、面接をお願いしておりました海山と申しますが・・・」
ところが誰一人として顔を上げるものはいない。ちらっとこちらに目を向ける者もいなければ、
「いらっしゃいませ」という者すらいない。4人の女性たちは一見年配者に見える。
改めて事務所の内装を一瞥してみた。
灰色の資料棚に灰色の椅子。灰色のファイルに灰色の机。
そして何故か部屋全体に立ち込める微かな悪臭。
もう一度「あの・・・」と言いかけたところで部屋のパテーションの奥から
「おお。こっちに来なさい」との声が・・・。
その声はたった今誰かに首を絞められて息を吹き返したばかりのような声といった表現が相応しく、私は一瞬その場で凍りついた。
おずおずと声のする方へ進んでみる。パテーションを越えるとそこには白髪頭で中肉中背といったの60代半ばくらいの初老の男性が大きな黒い椅子に埋もれていた。
先程の微かな悪臭は更にはっきりとしたものに。そうか、何週間も出し忘れたごみの腐臭に似ている。
「ほぉ。あんたは27歳だと聞いとったが随分若く見えるな」それがA先生の第一声だった。
「えーっと。経歴は・・・」そう言いながら舌で指をベロベロ舐めながら履歴書を捲る。
「○○大学商学部卒業・・・と。××証券会社勤務か・・・。ん〜。あんた、こんな小さな事務所で満足して働けるのぉ?」との質問。
「はい。是非とも働きたいと思っております」
と同時に、先程の事務員の一人が能面のような顔で冷たいお茶を私に運んできてくれた。
2〜3の簡単な質疑応答が交わされた後、
「そうか。では明日から来なさい。お昼頃でいいよ。それと給料は20万円だな」
前職よりやや下がったものの求人票の記載よりも1万円UP。
何より決まったという安堵感からか、5感から得た赤色のシグナルの全てを吹き飛ばして気持ちは小躍りしてしまっていた。
「有難うございます。頑張ります」とだけ言い、一礼してパテーションから出た。
悪臭に耐えうる限界を感じていたので一刻も早くその場から出たいという気持ちもあった。
パテーションを出て先程の女性たちの前で「失礼致します」と挨拶をする。
やはり誰もこちらを見ない。まぁいっか。きっと皆忙しくてそれどころじゃないんだと思い、そのまま事務所を後にした。
「やったーーーー。」私は初めての転職活動で成功したのだ。
××証券を辞める時、同僚が私に言った言葉を思い出してみる。
「あのねぇ。世の中そんなに甘くないよ。私だってこの会社しか知らないから海山さんと同じで偉そうなこと言えないけど、ほどほどに4年制の大学を出て、ここでのキャリアだって2年の勤めじゃ素人同然だし。なんか別に資格だって無いじゃん。それも海山さん言いにくいけどもう27歳でしょ。うちの会社じゃ肩叩きにあって皆結婚退職している年齢だよ」
同僚の言うことは一理あったなと思うことは今ではある。
実は証券会社を辞めてからの私は職を幾つか転々としてしまうことにもなる。だけど、後悔はしていない。リストラや、倒産の多い昨今、自分のキャリアは自分からアグレッシブに勝ち取らなければいけないと思うあの27歳の時点での自分の決断は間違ってなかったと思う。
しかし、しかし、会社は冷静に選ばなければいけない。どんなに焦っていたとしても・・・。

私は某4年生大学の商学部を卒業後、当時、まだ何とか活気のあった某証券会社に半営業職として入社しました。
ところが大組織の息苦しさとこのままずーーーっとここにいても何のキャリアを積む事が出来ないという焦燥感から、「よし。この際、手に職をつけて一生自分でやっていける会計士になろう」と思い立ち、即座に某証券会社を退社。
とはいえ、家は裕福な方ではなかったので昼間は働き、夜は専門学校という計画で行こうと思い、退職後、早速、就職活動を開始。
どうせ働くのだから実務経験の積める会計事務所にしようとターゲットを絞って就職雑誌を片手に職探しに勤しんだ。
当時の感触として事務所の要求する条件は以下の3点。

?    年齢は24歳位まで、
?    簿記・財務諸表論のいずれか1科目取得者(もしくは会計士捕の有資格者)
?    会計事務所での実務経験2年以上

ところが当時、年齢27歳、資格なし、経験なしの私を雇ってくれる所等無く自分の考え方の甘さを痛感。
そこで、最後の砦、職安に出掛けることに。
求人は結構あるもののあまりの月給の安さに愕然。
「9時〜17時で実務経験1年以上。月給12万円・・・。おいおい。これが神奈川県横浜市の求人かぁ。これでどうやって生活していくんだよぉ!!」と怒りすら込み上げてくる。
そして、更にぱらぱらと求人票を捲っていくと
「9時〜17時。未経験者可。資格不問。女性に限る。月給19万円。残業代なし。春夏には特別手当10万円を別途支給」
これは、願っても無い求人で私は早速職安のカウンターに行き、職員に「ここを紹介して下さい」と願い出た。
職員のお兄さんは書類を一瞥すると受話器を取って先方と交渉を始めてくれた。
「どうかまだ他の人に決まっていませんように・・・」
就職活動2ヶ月目にして掴んだラッキーな求人。カウンターの下で震える手を抑えつつ先方の返事を待つ。
「まだ決まっていないみたいで会ってくれるようですよ。今日か明日の午後に面接したいと言っていますがどちらが宜しいですか。」と職員のお兄さんは優しく聞いてくる。
髪はぼさぼさラフな格好だった私は、迷わず明日の午後でお願いした。
面接は明日の2時に決定。
「面接してくれる」
そのことだけで私はもう感謝感激雨アラレ。
雇ってくれた暁には一生懸命働くぞ。
その夜はもしかしたら道が開けるかもしれないという期待と果たして雇ってくれるのだろうかという不安から興奮してなかなか寝付くことが出来なかった。
また、実はよく姉が以前から言われていたのが、
「あんたは個人の事務所とか探しているけど実態はひどいもんらしいよ。
友達の中にも法律事務所とか、会計事務所とか勤めていた人がいたけどあそこはまともな人間の働くところじゃないって言ってたよ。悪いこと言わない。やめとき。」と言った内容。
「でも。まぁ。職安様のご紹介だ。まともなところしか紹介しないでしょ。」と、姉の忠告はちょっと大袈裟なんだよねと思いつつ、いつの間にか幸せな気持ちを抱きつつ深い眠りに落ちたのだった。
まず最初に、私がこの日記を書こうと思ったのは、一般企業に勤めていた同僚や後輩が、「税理士もしくは会計士になりたい。それに当たって君が勤めていた会計事務所がどんな感じだったのかその内容を聞かせて欲しい」と言った問い合わせが大変多かったことに由来します。
これから私が皆様にお伝えする内容は嘘偽りの無い、所謂、ノンフィクションです。
但し、このような会計事務所にたまたま私が入所(うっ、刑務所の受刑者のようですね)してしまっただけで、まともな所はきっとあると数年経った今でも信じています。
また、私が勤めていた会計事務所は個人で経営しており、所謂、組織化されたしっかりした事務所でない点も申し添えます。多分、こんなところが大半を占めると思いますが・・・。
それでは、これから述べる実態を踏まえた上で、皆様によりよい事務所を探して頂きたいと思います。
尚、個人のプライバシーを守るため出てくる登場人物の名前は全て偽名です。

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