翌日、私と事務の女性4人はとあるホテルの地下の料亭にいた。
A先生が「海山さんの歓迎会をしてあげなさい」と言われたことによるものだった。
料亭での彼女たちは会計事務所でのそれとは別人だった。

「でもよくあなたここに入ったわねぇ」
食事が進むにつれて打ち解け始めたころ原さんが言った。
彼女は、幾つもの会計事務所を転々としてきた齢50歳近くのベテランさんだ。

「そうよねぇ。まぁ、勤めている私が言うのもなんだけど私が貴女位若かったら絶対こんなところ入らないわぁ」
歯に衣着せぬ物言いをするのは他の会計事務所での経験が2年という長島さん30代後半。

「まぁまぁ、縁あって入ったんだから・・・。でもね脅すわけじゃないけど、あんたこれから色々大変だよ。まっ。嫌でもおいおい分かってくると思うけど」
と、建築会社で経理経験のある40代前半の定岡さん。

「・・・・・・」
無口で多くを語らないのは同じ証券会社経験者の江川さん。彼女は幾つかのベンチャー企業を経て会計事務所に流れ着いたらしい。30代前半。

そして、彼女たちは口を揃えて私に妙なアドバイスをした。
「いい。もし誰かがうちの事務所を訪ねてきたとしても絶対顔を上げて対応とかしちゃ駄目だよ」と言った。
妙なアドバイスだなとはおもったもののその真意を尋ねようとした頃、彼女らは食事を終え帰り支度を始めていた。
そんな謎の会話の中でもふと初めて私が会計事務所を訪ねた時、そう言えば彼女たちは顔を上げなかったなとぼんやりと不快感を伴いながら思い出していた。

帰りの道々「・・・でも何よりも1番気の毒なのはB先生だよねーーー」と長島さんが言った。
「えっ。B先生ってどなたですか」私がそう尋ねると
「そっか。まだ会ってないんだよね。先生はここ2、3日外回りだから・・・。でも今日の午後にでも会えるわよ」と長島さん。

事務所に帰るとその気の毒なB先生は狭い部屋の窓際の小さい椅子に恰幅のいい体を沈めていた。
滝のように流れる汗をハンカチで拭いながら「おお。お帰り」と私たちに言い、「A先生は今ちょうどお昼に行かれたよ」と続けた。
B先生は例えるなら和製ダニー・デービットと言った感じで、肝臓の悪そうな顔の色をしている。
A先生の放つ悪臭が立ち込める部屋の中にB先生は消化の悪そうな口臭といったオードブルを添えている。
部屋の中は以前にまして異様な臭いが立ち込めていた。
「ああ、君が今度入った海山さんね。宜しく」そういうと、先程汗を拭った手のひらで握手をしてきた。
「午後からね。僕と原さんと海山さんで東京まで行くことになったから・・・」とダニー先生は言った。
「東京ですか?」と私が尋ねると、
「そう。東京。東京に上客がいるんだよ。A先生がグリーン車で行くように言われたよ。君は気に入られたらしいな」とニヤニヤ笑っていた。
「グリーン車なんて珍しいわよね。よっぽどあなたに見栄をはりたいのね」と原さんが耳打ちした。

かくして、私達三人はグリーン車に乗った。
「これから行くところはね不景気で借金だらけの会社なんだけど、従業員には頑張って欲しいとボーナスを出すらしいんだよね。うちの先生とは大違いだよ」ダニー先生は大まじめな顔をして目線を前方にくれていた。
「でも、他の会計事務所に比べてまだましな給料ですよ」そう言い掛けて私は言葉を飲んだ。そう、まだそう断言するには早いのだ。
「本当、いい社長さんよね。うちの先生とは人間の出来が違うわ」と原さんが畳み掛ける。

到着した会社はビルの2、3階を賃貸している洗練された会社だった。
私たちはまるで竜宮城に招かれた浦島太郎ご一行様のように恭しく社長や数十人の従業員に出迎えられた。
会議室で社長と事務担当者、そして私達の5人は軽い歓談を終えた後、今回の訪問の本題に入った。
原さんはテキパキと書類を出し、
「・・・で、この方は月額変更の届出が・・・。・・・で、変更登記の申請が・・・」
まるでチンプンカンプンの言葉が飛び交い、それを原さんは迅速かつ的確にこなしていく。
ダニー先生は腕を組んで見ているだけだ。
「・・・以上ですね」と原さんと社長さん、そして担当者は確認し合っていた。
そして、一連の業務が終わると、来た時と同様に会社の人全員が恭しく挨拶してくれ、私達は大層いい気持ちで会社を後にした。

帰りしな原さんが
「先生もひどいわよね。あんないい社長さんたちを食い物にしているんだから。悪党よね」とダニー先生に耳打ちしているのをちらっと聞いた。
後日、当時原さんのしていたことは社会保険の手続きと法務局への会社の届出の準備であったと分かる。
つまりは、社会保険労務士と司法書士の職域であった訳で無資格でやっているわけである。
A先生は何でもうちでやってあげますよと客に言い、正に何でもやってあげる訳なのである。コロシ以外は。
私は、この行為に関して「悪党」と会計事務所員は言っているのだと早合点していた。

しかし、実はもっとアクドイ行為を後日、本当に目の当たりにすることになる。

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