第7話 さようなら!ダニー先生
2002年6月8日ダニー先生は清廉の人では決してなかった。
A先生と比べると幾らかましという程度である。
「これを皆さんでお分け下さい」とお客から貰ったお菓子や現金の全てをダニー先生は皆に分けることなく一人で着服していた。
「A先生もクズだけど、ダニーもダニよね・・・」それが事務員共通の認識だった。
ダニ、もとい、ダニー先生の口癖は「俺が、キャリアだった頃・・・」であった。
遠い目をして当時の思い出を掘り返し話しては溜息をついていた。
この事務所に来てから数ヶ月、私の会計事務所に対する見方は当初と比べかなり悪化していた。
後悔すらしていたと言ってもいい。職安を通したのにどうしてこんな所に入ってしまったのかと毎夜悔いた。
こんな話を聞いたことがある。私が入所する前、税理士の全科目の資格を取った女性がいたらしい。
分からないことは皆その女性に相談してきたというのだ。
その女性はしばらくすると自分でやりたいと思ったらしく、ある日そのことを先生に告げた。
しかし、先生はその日から態度をがらりと変え、長年事務所で働いてきた彼女に1社の客も分けてあげなかったらしいのだ。
客の取り合いで喧嘩もしたらしい。
それ以来、先生は全科目取得者を雇わないことを座右の銘にしているらしい。
しかし、これはこの事務所に限らずどこの事務所でもあることだと定岡さんは言った。
「もし、会計事務所に入りたかったら全科目取っちゃ駄目だよ」と忠告された。
全科目取得者は実務経験さえ積めばいつでも事務所を開くことが出来る。だから、顧客を取られるのが嫌な先生は決して雇わないそうだ。
「あんたももし、税理士を取ることを考えてるんなら2、3科目にしときな」と皆から忠告された。
そんな夏のある日再び事件が起きた。
今回の犠牲者は原さんである。
いや、ダニー先生か。
ここで少し原さんの補足説明をしよう。原さんは、齢50近くのベテラン事務員であることは依然述べたが、その上すこぶるつきの美人である。
スタイルもいい。お上品である。とても50とは思えない色気もある。
そう。以上の説明から推察できると思うが、彼女はA先生のお気に入りなのである。
その彼女が今、顔面を蒼白にして、
「どうしよう。どうしよう」とこめかみを抑えながら机の上に視線を落としている。
問題の電話が鳴ったのが5分前。お得意先の担当者からだった。
彼女がかつて申告した申告書の内容が間違えていたらしい。
税務署からの連絡が担当者に行きその連絡が今入ったのだ。
間違いにより生じる税額は重加算税、付加算金も併せて約200万以上。
これから、担当者と社長が事務所に来るというのだ。気の毒な彼女は顔面蒼白でブルブル震えていた。
「原さんも気の毒にね。あそこからはこの前の決算の時、10万円貰ったって言ってたからね」と、お昼に定岡さん。
「えっ。あそこは決算手当は50万円だったと思いますけど」と私が言うと。
「あのね。私達が、事務所ののお手当てだけで、満足しているわけ無いじゃない。先生が全く無知なことを気付いている会社は気付いているの。でも、私達のケアが木目細かいから他に行くつもりは無いのよ。皆、決算期には別に5〜10万円、多い人で20万円は貰っているのよ。ほら、先生は税務署の出だから、なるべく客に多くの税金を払わせていい顔したいのよ。『俺の客はこんなに税金を払ってる』って言ってね。それじゃ、会社はたまんないじゃない。そこで、私達が便宜を図ってあげてるってわけ。お手当てを貰うのもいいんだけど、ひとたびこんなことがあると皆震え上がっちゃうのよね」と定岡さんは言い、何事もなかったかのように食事を続けた。
この手の話は結構喋る定岡さん。
「私ね、今、お客の店で夜アルバイトしてるのよ。でも、先生にばれたり、源泉の問題とかヤバイじゃない。だから、店主の給料を10万円増しに処理して、私はそこから現金で貰ってるの。そうしたら、私の名前とか出ないじゃない」とも語っていた。
食事が終わって事務所に帰ってみると原さんは更に顔面蒼白になって「どうしよう。どうしよう」と、机に突っ伏して呪詛のように呟いていた。
顧客は帰ったようだ。何らかの結論が出たのであろう。
奥の先生の部屋では、両先生が言い争いをしている。
「どうなったの」と定岡さんが尋ねると、原さんの目は涙で濡れていた。
「それがね」と説明を受けた話の内容は以下のようなものであった。
A先生曰く、原さんは事務処理レベルだから責任は彼女にはないと庇ったらしい。
A先生のお気に入りというプレミアムを差し引いても、そこまではちょっと感動して聞いた私。問題はそこから先。
公には出来ないけど、A先生は会計の知識がないからチェックなんてとても無理。
ということでA先生の中ではご自身は鼻から問題外。そこで、ババを引くのがダニー先生。
「ワシは君を信じて、君に皆の申告書のチェックを全て一任しておる。それがこんな形で裏切られるとは。君は一体何をチェックしているのかね」と客前で叱責したらしい。そして、最後には、「この200万円は君が自腹を切って払いなさい」とまで言い放ったらしいのである。そんなムチャクチャナ・・・。
「私が悪いのにどうしよう」と原さんはかなり気にしていた。
A先生はこれ幸いにとこの責任を全部ダニー先生におっ被せて辞めさせようという魂胆だった。
以前、ある気に入らない担当者が似たようなミスをした時は、その担当者に非があると言って辞めさせたらしいが・・・。
怒りで顔を真っ赤にし、体を打ち震わせながらダニー先生はA先生の部屋から飛び出してきた。そして、ムンズと背広を小脇に抱えると急ぎ足で、荒々しく扉を開け、これまた荒々しく後ろ手に閉めて事務所を出て行った。
それが、私が見たダニー先生の最後の姿だった。
数秒後には、ヒッヒッヒッという引き攣ったようなA先生の薄笑いだけが事務所中にこだましていた。
A先生と比べると幾らかましという程度である。
「これを皆さんでお分け下さい」とお客から貰ったお菓子や現金の全てをダニー先生は皆に分けることなく一人で着服していた。
「A先生もクズだけど、ダニーもダニよね・・・」それが事務員共通の認識だった。
ダニ、もとい、ダニー先生の口癖は「俺が、キャリアだった頃・・・」であった。
遠い目をして当時の思い出を掘り返し話しては溜息をついていた。
この事務所に来てから数ヶ月、私の会計事務所に対する見方は当初と比べかなり悪化していた。
後悔すらしていたと言ってもいい。職安を通したのにどうしてこんな所に入ってしまったのかと毎夜悔いた。
こんな話を聞いたことがある。私が入所する前、税理士の全科目の資格を取った女性がいたらしい。
分からないことは皆その女性に相談してきたというのだ。
その女性はしばらくすると自分でやりたいと思ったらしく、ある日そのことを先生に告げた。
しかし、先生はその日から態度をがらりと変え、長年事務所で働いてきた彼女に1社の客も分けてあげなかったらしいのだ。
客の取り合いで喧嘩もしたらしい。
それ以来、先生は全科目取得者を雇わないことを座右の銘にしているらしい。
しかし、これはこの事務所に限らずどこの事務所でもあることだと定岡さんは言った。
「もし、会計事務所に入りたかったら全科目取っちゃ駄目だよ」と忠告された。
全科目取得者は実務経験さえ積めばいつでも事務所を開くことが出来る。だから、顧客を取られるのが嫌な先生は決して雇わないそうだ。
「あんたももし、税理士を取ることを考えてるんなら2、3科目にしときな」と皆から忠告された。
そんな夏のある日再び事件が起きた。
今回の犠牲者は原さんである。
いや、ダニー先生か。
ここで少し原さんの補足説明をしよう。原さんは、齢50近くのベテラン事務員であることは依然述べたが、その上すこぶるつきの美人である。
スタイルもいい。お上品である。とても50とは思えない色気もある。
そう。以上の説明から推察できると思うが、彼女はA先生のお気に入りなのである。
その彼女が今、顔面を蒼白にして、
「どうしよう。どうしよう」とこめかみを抑えながら机の上に視線を落としている。
問題の電話が鳴ったのが5分前。お得意先の担当者からだった。
彼女がかつて申告した申告書の内容が間違えていたらしい。
税務署からの連絡が担当者に行きその連絡が今入ったのだ。
間違いにより生じる税額は重加算税、付加算金も併せて約200万以上。
これから、担当者と社長が事務所に来るというのだ。気の毒な彼女は顔面蒼白でブルブル震えていた。
「原さんも気の毒にね。あそこからはこの前の決算の時、10万円貰ったって言ってたからね」と、お昼に定岡さん。
「えっ。あそこは決算手当は50万円だったと思いますけど」と私が言うと。
「あのね。私達が、事務所ののお手当てだけで、満足しているわけ無いじゃない。先生が全く無知なことを気付いている会社は気付いているの。でも、私達のケアが木目細かいから他に行くつもりは無いのよ。皆、決算期には別に5〜10万円、多い人で20万円は貰っているのよ。ほら、先生は税務署の出だから、なるべく客に多くの税金を払わせていい顔したいのよ。『俺の客はこんなに税金を払ってる』って言ってね。それじゃ、会社はたまんないじゃない。そこで、私達が便宜を図ってあげてるってわけ。お手当てを貰うのもいいんだけど、ひとたびこんなことがあると皆震え上がっちゃうのよね」と定岡さんは言い、何事もなかったかのように食事を続けた。
この手の話は結構喋る定岡さん。
「私ね、今、お客の店で夜アルバイトしてるのよ。でも、先生にばれたり、源泉の問題とかヤバイじゃない。だから、店主の給料を10万円増しに処理して、私はそこから現金で貰ってるの。そうしたら、私の名前とか出ないじゃない」とも語っていた。
食事が終わって事務所に帰ってみると原さんは更に顔面蒼白になって「どうしよう。どうしよう」と、机に突っ伏して呪詛のように呟いていた。
顧客は帰ったようだ。何らかの結論が出たのであろう。
奥の先生の部屋では、両先生が言い争いをしている。
「どうなったの」と定岡さんが尋ねると、原さんの目は涙で濡れていた。
「それがね」と説明を受けた話の内容は以下のようなものであった。
A先生曰く、原さんは事務処理レベルだから責任は彼女にはないと庇ったらしい。
A先生のお気に入りというプレミアムを差し引いても、そこまではちょっと感動して聞いた私。問題はそこから先。
公には出来ないけど、A先生は会計の知識がないからチェックなんてとても無理。
ということでA先生の中ではご自身は鼻から問題外。そこで、ババを引くのがダニー先生。
「ワシは君を信じて、君に皆の申告書のチェックを全て一任しておる。それがこんな形で裏切られるとは。君は一体何をチェックしているのかね」と客前で叱責したらしい。そして、最後には、「この200万円は君が自腹を切って払いなさい」とまで言い放ったらしいのである。そんなムチャクチャナ・・・。
「私が悪いのにどうしよう」と原さんはかなり気にしていた。
A先生はこれ幸いにとこの責任を全部ダニー先生におっ被せて辞めさせようという魂胆だった。
以前、ある気に入らない担当者が似たようなミスをした時は、その担当者に非があると言って辞めさせたらしいが・・・。
怒りで顔を真っ赤にし、体を打ち震わせながらダニー先生はA先生の部屋から飛び出してきた。そして、ムンズと背広を小脇に抱えると急ぎ足で、荒々しく扉を開け、これまた荒々しく後ろ手に閉めて事務所を出て行った。
それが、私が見たダニー先生の最後の姿だった。
数秒後には、ヒッヒッヒッという引き攣ったようなA先生の薄笑いだけが事務所中にこだましていた。
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