第9話 たらい回し

2002年6月18日
もともと私には指導してくれる人がいなかった。
敢えて言えばダニー先生だったが彼は私が入所(刑務所に入った受刑者のような表現だわ・・・)した時、もうそんな余裕は無かったのだ。
伝票整理に明け暮れる日々が続いた。
「何か手伝わせて下さい」そういうと来るのはバラバラになった伝票の山だった。

この事務所での限界を感じ始めていた。周りの女性も極力、私に教えるようなことは避けていた。
下手に教えてミスでもしたら今度は自分が辞めさせられると皆が危惧していたのである。

それでも、年末調整と確定申告時期だけはそんなことも言っておられず、私も猫の手として駆り出されるようになった。

手渡されたノウハウ本と格闘しつつ皆のはじき出した計算が合っているのかをチェックするまでになった。
間違いを見つけては感謝されることもあり初めてここに来た遣り甲斐を感じ始めていた。
それでも、月次の会計処理と申告書の作成については未だに触れさせて貰えなかった。

そんなある日、私はA先生に部屋に呼ばれた。久し振りに悪臭を身近に吸ってしまい、不快感を増幅させていた。

「あんたもな、ソロソロ一人前になって独り立ちして決算を組んだりしてもらわにゃいかん。いつまでも新入社員のままじゃ困る。10社ほどあんたに任せるからやってみなさい。会社1社の決算につき毎月2万円を支給するから」と言われた。

嬉しい反面、不安が押し寄せてくる。任せるとは言われても私が出来るのは給与計算と伝票整理。そして、最近覚えた年末調整位。どうしようと途方にくれていると、
「定岡さん。ちょっと」と先生。
「これから、海山さんが独り立ち出来るようにあんたがいろいろ指導してやんなさい」と言った。
彼女は大きく仰け反るジェスチャーをすると、
「嫌ですよ。自分のことだけでも精一杯なのに教育指導なんてそんな時間ありませんよ〜」と言った。
「そうか。あんたは嫌か・・・」

そうして、原さん。長島さんも呼ばれたが二人にもやはり拒絶されてしまった。
それはそうだろう。
私が同じ立場だったらそういうリアクションをするだろう。

「教育手当てとして月2万円払うから海山さんをサポートしないか」と先生は言ったが誰も首を縦に振る者はいなかった。
結局のところ皆たった月2万円で私のチェックもしぃの自分の顧客の申告もしぃので負担だけが増える。
しかも、ミスをした場合、いつ自分がその責任を取らされて辞めさせられるか分かったものではない。・・・ダニー先生のように。

「あんたには悪いけど面倒は見れないよ」と事務員ご一同様に面と向かって言われてしまった。
「それより、他の会計事務所に行って勉強したほうがあんたのためになるよ」とまで言われてしまう始末。

皆の気持ちが分かるだけに面倒を見て下さいとは言えない自分がいた。
そんな経緯を知らないA先生は、
?海山は皆に嫌われているらしい
?海山は仕事が全く出来ないらしい
?誰も面倒を見ないのなら海山は金が掛かるだけ
そんな図式が先生の中で出来上がっていった。

ダニー先生が辞めることによって私は突然単なるお荷物に変身してしまったのだ。
ダニー先生に向けられていたネチネチの矛先は私に向けられるようになった。

「あんたは、じゃ、決算とかやんないから来月から給料は2万円カットだな」とその場で宣告された。
それでも、私は辞めなかった。皆のお昼の買出しとか書類の清書とか尽くしたらきっと教えてくれるはずだ。そう信じて粘った。

「しかし、あんたも粘るね。でも、先生がああやって虐め始めるとだんだんエスカレートしてきて、半年と続けた人はいないよ。あんたみたいな未経験者にはこの事務所はまだ無理だよ」と皆が口々に言う。

それでも、私は自分の履歴書に1年以内に退社という汚名だけは残したくなく、せめて1年。そう思い粘った。
そうこうしているうちに仕事も盗み見れるかもしれないというほのかな願いもあった。

しかし、皆のガードは固かった。自分達の会計書類は一切見せないのである。いや、見せることが出来ないと言った方が正解である。

一時期は先生の虐めが緩んだ時期もあった。
その時には「こんな風に先生の虐めが止んだ例は見たことがない」と皆に絶賛された。

だが、それはほんの一時期でしかなかった。
そして、先生の怒涛のような虐めラッシュが始まった。
「もう少しあんたは愛想良く出来のか。仕事が出来ない癖に」
「お茶位もっと美味しく煎れなさい。仕事が出来ない癖に」(因みにお茶は、「お〜い、お茶」の缶を開けて入れていた)

万事がこの調子であった。

「あんたは来月からパートにするから月12万円だ。それでもいいなら事務所に来ても構わんよ」と最後通牒を突き付けられた。もう限界だと思った。

1年に拘る事はない。確かに、このままこの事務所に居ても教わることは何もない。
虫けらのように扱われている私でもプライドはある。このままこの事務所に居ても人間が腐るだけだ。

そう思うと気持ちがすーっと澄んで来た。
こんなにひどい職場はもうきっとないから。ここでこれだけ我慢出来たんだから。

次第に私の中で退職の2文字は確固たるものとなったのであった。

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