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第10話 転職。さぁ、辞表だ。
2002年6月19日さぁ、転職だ。お昼時間の僅かな時間さえあれば手当たり次第会計事務所に電話を入れた。
転職する1ヶ月前には皆と食事に行くこともしなくなったが、転職する旨を皆に伝えての行動だったので皆黙認してくれていた。
電話を懸けてちょっとでも会ってくれそうな感触があれば例え遠くても会いに行こうとアポを入れた。
最初の転職活動の時とは違い1年とはいえ事務所経験があるということで会ってくれるところが増えたのは有り難いことだった。
不安だったのはその1年に見合う経験が積めているという確信が全く持てないことだった。
しかし、皆に転職することを伝えてから皮肉にも皆が少しずつ仕事を教えてくれるようになった。最後のハナムケだったのだろう。
1番最初に回ったのは公認会計士の先生が開いている個人の会計事務所。
若いながらも穏やかで紳士的な先生。しかし、先生の需要とマッチせずここは不採用。
けれど帰りしな頑張りなさいと応援して貰い、1年ぶりに温かい人情に触れ少し感涙。
2番目に訪ねた事務所は、中央大学出の先生で自分がいかに有能な人材であるかを唾を飛ばしながら語るナルチャン先生。君も僕のようになりなさいと熱く語ること1時間。早々に失礼した次第。
3番目はこれが一番遠くて通勤2時間。都内で夫婦で会計事務所を開いているらしい。
奥さんは神経質そうに何度も眼鏡を弄っている。事務員は20人いるという。
やはり、通勤時間がネックとなりお断りをされてしまうこととなる。
最後に訪れた会計事務所は今の事務所より更に自宅に近く、事務員の平均年齢は27歳で10人位はいた。建物は自社ビルだった。開業20年と言う。しかも、この地区ではかなり大きな事務所らしいことを誇らしげに語っている。
ここは某大○簿記専門学校の掲示板から探し当てた物件だった。
面接時のモツの異臭立ち込める事務所にやや不快感を感じつつも面接してくれた30代の女性の対応が好感触。
一緒に同席した50代位の女性はしゃくりあげるように話し、やたらとハイテンションで神経質そうな風貌が鼻に突くものの10人も事務員がいるし、2階建てのビルだからそう接点もないだろうと目を瞑る。
「あなたには是非この事務所に入って欲しいの。そうして頂戴。私とエミさんとで出来る限りのことはするわ」とその針金のような声で50代は捲し立てた。
先生はたまたま出掛けていたために不在での決断となるのだが、これだけ人が集まるのだからいい事務所に違いないと思い、
「では、再来週からでもお願いして宜しいでしょうか」と即答してしまった。
今度のところでは、いろいろなことを教えてもらえるらしい。半年前に入った男の子も順調に仕事を覚えて今ではかなり仕事に慣れてきているとの事。理想的。そう思うとここに入るのが自分にはベストだと思えた。
今後の簡単な段取りを取り付けると急いで家に帰り、辞表を書いた。内容はシンプルそのもの
「一身上の都合により御社を退職致します。
平成○年4月 日 海山 千子」
後は日付をいつにするかそれだけが問題だった。
そのXデーを思うと胸が躍った。書き上がった辞表を何度も読み直しては頭の中で渡す場面を何度もシュミレーションした。
そう、後は渡すだけでいいのだ。机の中は既に空っぽになって整理済みになっているのだ。
会計事務所に入って以来始めて嬉しくて眠れない夜を送った。
果たして、そのXデーは以外にも翌日に訪れた。
お客さん用に出した灰皿が発端となる。今となってはどうしてそれが原因となったのか思い出せないが、A先生が凄い形相で灰皿を持って私に掴み掛かって来た事だけははっきりと思い出せる。
私は、その手を思いっ切り振り払い、その瞬間、灰皿が宙に舞った。
吸殻が先生の頭に降り注いでいた。
先生は憤怒で顔を赤らめたり、真っ青になりながら私に罵声を浴びせた。
踵を返して私はやおら机の引出しを開け辞表を取り出し、素早く今日の日付を記入し、封をした。
『辞表』と書かれた面を先生に向け、
「どうも、短い間でしたが大変お世話になりました」と言うと机の上のバックを肩に掛けた。
私物は2週間前からとうに撤去していた。会社の引出しには辞表のみをしまっていた。
先生も事務員も呆気に取られている。
再度、お辞儀をすると2度と振り返ることなく事務所を後にした。
事務所を出て5mも歩いただろうか。後ろから微かに「海山さん」と呼ばれた気がして振り向いてみる。
長島さんだった。
「良かった。追いついて。あまりにも急だったんで驚いちゃった。あのぉ実は、皆、持ち合わせがなくてこれだけしか集まらなかったんだけど、これお餞別。元気でね。退職までのお給料はばっちり出すように計算しとくからね。」
裸で差し出されたお札に皆の動揺が見て取れた。
「有難うございました」それだけ言うと一礼して、今度こそ2度と振り返るようなことはしなかった。
涙は出なかった。不思議と開放感と爽快感が歩く毎に増してきた。
さっきまでのシーンが何度も眼前に蘇り、あの事務所をとうとう去ることが出来たのだと思うと自然とスキップをしていた。
さぁ、再来週からはあの新しい会計事務所でのお仕事が始まる。
まだまだ20代。あの事務所だけが全てではないんだ。
Tomorrow is another day.
この言葉を心の中で復唱した。
これ以上酷い職場はもうこの世には存在しない。そんな職場で1年も耐えたんだ。
次はきっと上手くやっていけるさ。真実、私はそう思っていた。
しかし、世の中には想像を絶する会社があることをこの2週間後に思い知ることとなる。
そのお話しはまた後日。
転職する1ヶ月前には皆と食事に行くこともしなくなったが、転職する旨を皆に伝えての行動だったので皆黙認してくれていた。
電話を懸けてちょっとでも会ってくれそうな感触があれば例え遠くても会いに行こうとアポを入れた。
最初の転職活動の時とは違い1年とはいえ事務所経験があるということで会ってくれるところが増えたのは有り難いことだった。
不安だったのはその1年に見合う経験が積めているという確信が全く持てないことだった。
しかし、皆に転職することを伝えてから皮肉にも皆が少しずつ仕事を教えてくれるようになった。最後のハナムケだったのだろう。
1番最初に回ったのは公認会計士の先生が開いている個人の会計事務所。
若いながらも穏やかで紳士的な先生。しかし、先生の需要とマッチせずここは不採用。
けれど帰りしな頑張りなさいと応援して貰い、1年ぶりに温かい人情に触れ少し感涙。
2番目に訪ねた事務所は、中央大学出の先生で自分がいかに有能な人材であるかを唾を飛ばしながら語るナルチャン先生。君も僕のようになりなさいと熱く語ること1時間。早々に失礼した次第。
3番目はこれが一番遠くて通勤2時間。都内で夫婦で会計事務所を開いているらしい。
奥さんは神経質そうに何度も眼鏡を弄っている。事務員は20人いるという。
やはり、通勤時間がネックとなりお断りをされてしまうこととなる。
最後に訪れた会計事務所は今の事務所より更に自宅に近く、事務員の平均年齢は27歳で10人位はいた。建物は自社ビルだった。開業20年と言う。しかも、この地区ではかなり大きな事務所らしいことを誇らしげに語っている。
ここは某大○簿記専門学校の掲示板から探し当てた物件だった。
面接時のモツの異臭立ち込める事務所にやや不快感を感じつつも面接してくれた30代の女性の対応が好感触。
一緒に同席した50代位の女性はしゃくりあげるように話し、やたらとハイテンションで神経質そうな風貌が鼻に突くものの10人も事務員がいるし、2階建てのビルだからそう接点もないだろうと目を瞑る。
「あなたには是非この事務所に入って欲しいの。そうして頂戴。私とエミさんとで出来る限りのことはするわ」とその針金のような声で50代は捲し立てた。
先生はたまたま出掛けていたために不在での決断となるのだが、これだけ人が集まるのだからいい事務所に違いないと思い、
「では、再来週からでもお願いして宜しいでしょうか」と即答してしまった。
今度のところでは、いろいろなことを教えてもらえるらしい。半年前に入った男の子も順調に仕事を覚えて今ではかなり仕事に慣れてきているとの事。理想的。そう思うとここに入るのが自分にはベストだと思えた。
今後の簡単な段取りを取り付けると急いで家に帰り、辞表を書いた。内容はシンプルそのもの
「一身上の都合により御社を退職致します。
平成○年4月 日 海山 千子」
後は日付をいつにするかそれだけが問題だった。
そのXデーを思うと胸が躍った。書き上がった辞表を何度も読み直しては頭の中で渡す場面を何度もシュミレーションした。
そう、後は渡すだけでいいのだ。机の中は既に空っぽになって整理済みになっているのだ。
会計事務所に入って以来始めて嬉しくて眠れない夜を送った。
果たして、そのXデーは以外にも翌日に訪れた。
お客さん用に出した灰皿が発端となる。今となってはどうしてそれが原因となったのか思い出せないが、A先生が凄い形相で灰皿を持って私に掴み掛かって来た事だけははっきりと思い出せる。
私は、その手を思いっ切り振り払い、その瞬間、灰皿が宙に舞った。
吸殻が先生の頭に降り注いでいた。
先生は憤怒で顔を赤らめたり、真っ青になりながら私に罵声を浴びせた。
踵を返して私はやおら机の引出しを開け辞表を取り出し、素早く今日の日付を記入し、封をした。
『辞表』と書かれた面を先生に向け、
「どうも、短い間でしたが大変お世話になりました」と言うと机の上のバックを肩に掛けた。
私物は2週間前からとうに撤去していた。会社の引出しには辞表のみをしまっていた。
先生も事務員も呆気に取られている。
再度、お辞儀をすると2度と振り返ることなく事務所を後にした。
事務所を出て5mも歩いただろうか。後ろから微かに「海山さん」と呼ばれた気がして振り向いてみる。
長島さんだった。
「良かった。追いついて。あまりにも急だったんで驚いちゃった。あのぉ実は、皆、持ち合わせがなくてこれだけしか集まらなかったんだけど、これお餞別。元気でね。退職までのお給料はばっちり出すように計算しとくからね。」
裸で差し出されたお札に皆の動揺が見て取れた。
「有難うございました」それだけ言うと一礼して、今度こそ2度と振り返るようなことはしなかった。
涙は出なかった。不思議と開放感と爽快感が歩く毎に増してきた。
さっきまでのシーンが何度も眼前に蘇り、あの事務所をとうとう去ることが出来たのだと思うと自然とスキップをしていた。
さぁ、再来週からはあの新しい会計事務所でのお仕事が始まる。
まだまだ20代。あの事務所だけが全てではないんだ。
Tomorrow is another day.
この言葉を心の中で復唱した。
これ以上酷い職場はもうこの世には存在しない。そんな職場で1年も耐えたんだ。
次はきっと上手くやっていけるさ。真実、私はそう思っていた。
しかし、世の中には想像を絶する会社があることをこの2週間後に思い知ることとなる。
そのお話しはまた後日。
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